|
みなさんこんにちは!
さて本日のテーマは、受験英語は実用的な英語力に有用かということです。
結論から申しますと、筆者は有用であると思います。
昔、こんな話がありました。場所はデンマークのコペンハーゲンにあるスカンジナビア航空のオフィスです。筆者の友人である日本人のところに電話がありました。「ある日本人がコペンハーゲン空港に着いたのだがどうも英語がよく通じない。これから来てくれないか」というのがその用件でした。その友人が行ってみるとその日本人はある有名大学の英文学部の教授だったそうです。
最近の若い大学の先生は話す英語もけっこう上手になっていますが、それでもたまに英和辞典の編集委員になっていたりする著名な学者で、話す英語がうまくない人もいます。
また大学はでたけれども英会話はまったくだめという人がほとんどで、なんのために10年間も英語を勉強したのかと批判がでます。特に大学受験を目標とした高校での三年間の英語学習は果たして意味があったのかという疑問になり、極論となると今日の受験を中心とする英語の勉強は意味がないとされるわけです。
筆者はこのような極論には反対です。改善すべき点は多々ありますが、現在の高校の英語教育の方法、あるいは受験英語でもその後、実用英語を養うにあたり大いに役に立っています。その証拠に翻訳をする場合でも、あるいは通訳を目指す場合でも、入学試験において英語の占める比重の多い大学を卒業した人ほど有利であるからです。
この反対に何かの事情で大学を卒業せず、大学の代わりに英語教育の専門学校を卒業した後、翻訳者や通訳を目指す人がいますが、このような人々は往々にして基本的な力が欠けています。つまり母国語でない英語を読解する、あるいは書くという場合の最低限の決まり、それが文法なのですが、その知識が中途半端なため初歩的なミスを犯すのです。つまり私たちの大嫌いだった受験文法も、関係代名詞だの仮定法だのとあれだけ細かくやらされたおかげで、初歩的なミスがなくなるわけです。
筆者は学歴偏重主義者ではありません。しかし翻訳者を採用するとき大学を卒業していない人に対してはテストを厳重にします。何回か過去に失敗があるからです。
また英文学者が流暢な英語を話せなくてもかまわないと思います。冒頭の例のように極端では困りますが、シェークスピアのことだったら英米の学者より詳しい、あるいは英語の語いは10万語を超え、その定義については精ちを極めるという人が、何年も留学したとはいえ、話す英語にかける時間が少ないですから、プロの通訳より話す英語は下手に決まっています。翻訳でも自分の専門分野以外は、プロの翻訳者にかなうわけがありません。
日本はだまっていても国際化の波の中でそれぞれ話す英語はうまくなっていきます。このように誰でも多少の英語は話すというときに、あまり話す英語はうまくないが、その専門分野の英語は詳しい、あるいは話す英語はからきしダメだが、翻訳させたら見事であるというような、いわば本物とでも言うべき人のほうが、これからの社会が求めている人材ではないでしょうか。
|