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読者の方から筆者がどんな本を読んで翻訳を勉強しているのか、あるいはある程度翻訳はできるようになったが、もう少しうまくなるにはどうしたらよいかという意味の質問がよくきます。
本日はこれらの質問にお答えします。初心者の方にはむずかしいかも知れませんが、その場合は英語をとばして日本語だけ読んでください。それでも翻訳とはどんなことかがわかると思います。
翻訳で最も難しい分野は文学、思想、哲学、宗教だと思います。筆者はこれらの分野は専門ではありません。したがって原書だけではよくわからないので、翻訳書を参考にして読むことがあります。
特に少し前まで筆者はチベットのダライラマ14世の著作にこっていました。ダライラマはチベット語で講演をしますが、それを英訳し編集したものが数多く販売されています。筆者はこれらを片っ端から読み始めましたが、途中で問題が発生しました。はじめに読んだ Healing Anger はやさしくはないですが、よくわかりました。
二冊目の The Good Heart -- A Buddhist Perspective on The Teachings of Jesus というのもキリスト教の宣教師を対象にして講演していますので、仏教の知識がそれほど専門的でなくても読めます。
ところがその後にインターネット書店アマゾン・コムから次から次へと届いてくる本は読んでもよくわかりません。そこで日本語版を購入して読み始めました。
その一つが The Meaning of Life from a Buddhist Perspective です。
What is the main thrust of Buddhist practices concerning behavior? It is to tame one's mental continuum--to become non-violent. In general in Buddhism, the vehicles, or modes of practice, are divided into Great and Lesser. The Great Vehicle is primarily concerned with the altruistic compassion of helping others, and the Lesser Vehicle is primarily concerned with the non-harming of others.
あまり専門的でないところをピックアップしてみましたが、この英文でも何となくわかったような気はしますが、翻訳してくれと言われたら筆者はお手上げです。
この翻訳ができる人は仏教の専門家で英語のテクニカルタームをきちんと押さえている人だと思います。この点で日本語版の訳者石濱裕美子氏は全編(ダライラマの仏教入門、光文社)にわたって見事な翻訳をしています。
ここの部分の翻訳を引用させてもらいます。
仏教修行の主眼は「心の連続体(心相続)」を穏やかにし、非暴力を実践することにあります。一般に仏教では大乗、小乗の二つの修行の形態があります。大乗の修行では、主に利他の慈悲心を提唱し、小乗の修行では他のものを傷つけない慈悲心をおおむね提唱しています。
とてもうまい訳ですが、英語にあるものを削除し、英語にないものを追加していますね。これが意訳ですが、名訳はたいてい意訳です。
ダライラマのこれらの本を読むために私は昔勉強した仏教を復習しながらテクニカルタームについてのメモを取り始めました。一部を次にあげます。
impermanence: 無常
twelve links of dependent-arising: 十二支縁起
compassion: 慈悲
life in cyclic existence: 輪廻
four noble truths: 四聖諦
definite action: 定業
indefinite action: 不定業
afflictive emotion: 煩悩
これらのテクニカルタームを把握していませんと、このような専門書を理解し、翻訳することは困難になります。
理想的には同じ専門分野において著者と同等の体験と知識があったほうが、よりわかりやすく達意な翻訳が可能となりますね。
同じくダライラマの著作で The Dalai Lama at Harvard (日本語版: ダライラマの仏教哲学講義 福田洋一訳 大東出版社) というのがあります。これはアメリカのハーバード大学で午前と午後2時間ずつ、五日間にわたってダライラマが四聖諦などの仏教の根本原理を講演したものをその時の通訳者が英文で執筆したものです。
専門的でないところを一例として挙げます。
英文
Buddha.
What, according to the higher systems of tenets, is a Buddha? Primordially, all of us have the substances for becoming a Buddha--essential factors of body, speech, and mind--and, due to these, it is possible to develop the exalted body, speech, and mind of Buddhahood, the culmination of the path.
In terms of the exalted mind of a Buddha, two factors are defferentiated--one being the knowing factor of the mind and the other being the suchness or final mode of being of that mind. These two are the called the Wisdom Truth Body and the Nature Body of a Buddha, and toghether they are referred to as the Truth Body.
訳文
大乗仏教の学説によれば、仏陀とは何を意味しているのでしょうか。根本的にはわたしたちはすべて仏陀となるための基板としての身体・言葉・心(身・口・意)という基本的要素を持っています。そして、これらを土台としてはじめて、仏陀としての優れた身体・言葉・心を開発すること、その道を開拓していくことが可能になるのです。
仏陀の優れた心について言えば、二つの契機が区別されます。すなわち、一切を知る智慧の側面と、仏陀の心の実相(如性)あるいは究極的なあり方の側面です。前者は智慧法身と呼ばれ、後者は自性身と呼ばれ、その両者を総称して真理としての体(法身)と呼ばれます。
第一段落は翻訳はできないまでも意味はわかります。ところが第二の段落はいまひとつよくわかりません。
講演はこの後かなり専門的なところに進んでいきます。
ダライラマの講演は専門家を対象としてはいませんが、それにしても仏教に対する知識がわずかなりともある私が理解できない内容を、仏教に対する知識のないと思われるハーバードの学生やその他の聴衆が何故理解できるのでしょうか。
それは英語の理解度が違うということだと思います。つまり一つ一つの単語に対する理解度がネーティブの場合、その単語が置かれた文脈の中で微妙なニュアンスをくみ取りながら理解してしまうのに、私たち日本人の場合、それがまったくできないのです。
英語であれ、日本語であれ、ネーティブとノンネーティブでは言葉に対する理解度が根本的に違います。ノンネーティブでも何となくはわかるのですが、何となくわかっだけでは翻訳はできません。抽象的な内容ほど翻訳が難しいと言われるのはこの理由からです。
だからこそ、このような分野では翻訳者の腕がものをいうわけです。文学、哲学、宗教という分野は今後200年たっても翻訳ソフトがまったく歯が立たない翻訳分野だと筆者は思います。
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